旧約聖書あと一歩 第二回
「罪を犯した人間の運命は」
大阪キリスト教短期大学教授 日本フリーメソジスト教団教職
石黒則年 氏
「神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。神である主は、人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。』」
(新改訳 創世記第二章一五節〜一七節)
神さまは最初の人間アダムとエバを創造して、エデンの園に置かれました。エデンの園は天国のモデルと考えられます。そこでは、どの木の実を食べてもよいという「自由」とともに、その土地を耕して働くという「責任」も与えられました。エデンの園には「いのちの木」があって、それを食べて永遠に生きることができるはずでした(創世記二章九節)。また「善悪の知識の木」があって、それを食べると必ず死ぬという警告が与えられました。
続いて創世記第三章を読むと、アダムとエバは神さまの真剣な警告を無視し、その木の実を食べて、神さまの命令に背いてしまいました。そのために神さまと人間との間にあった信頼関係が壊され、彼らはエデンの園から追放されてしまいました(創世記三章二三〜二四節)。このように神さまの善意を裏切るような考えと行為を、聖書は「罪」と呼んでいます。罪によって人間は永遠の生命を失う運命を背負うことになったと言えます。この経緯を少し考えてみましょう。
普通「善悪の知識の木」と翻訳される語句は、「幸福と災いを知る木」というふうにも翻訳できます。つまり、この木の実は最初、口には美味であるけれど、あとでひどい災いを招くことになることが暗示されています。神さまは人間がそのような不幸を経験することにならないようにと、それを食することを禁止されたのです。彼らはそれを食べた時、美味しいと感じたでしょうが、すぐにひどい腹痛を覚え、七転八倒の苦しみを経験したのではないでしょうか。もしも私たちが同じように神さまからの指図を無視して生きていくならば、悲しい運命を招くことになるでしょう。
罪から来る報酬は死です(新改訳 ローマ六章二三節)。私たちは罪を取り除くために世に来られた主イエス・キリストを信頼して、神さまとの正しい関係を取り戻させていただきましょう。

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