旧約聖書あと一歩 第六回
「神 その名は主<ヤハウェ>」
大阪キリスト教短期大学教授 日本フリーメソジスト教団教職
石黒則年 氏
「神は仰せられた。…『わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』モーセは神を仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した。…神はモーセに仰せられた。『わたしは、「わたしはある。」という者である。』…これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。」(新改訳出エジプト記3章6、14節)
一体、神さまに出会うということは、どのような経験なのでしょうか。初めて神さまに出会ったとき、モーセは非常に恐れ、与えられた使命を果たしにエジプトに向かうことを躊躇しました。士師のギデオン(新改訳士師6章22節)も恐れを感じ、預言者イザヤは自分の罪の意識に圧倒され(新改訳イザヤ6章5節)、エレミヤも行動開始に二の足を踏みました(新改訳エレミヤ1章6節)。神さまに出会うこと、それは特別な経験です。神さまはモーセに向かって自己紹介をされました。それが冒頭のテキストです。神さまは「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と仰せになりました。それは次のような意味です。「モーセよ、あなたは今から数百年も前に生き、そして死んでいったアブラハムやイサクやヤコブには出会ったことがないであろう。しかし、わたしは彼らに直接に出会ってきたのだよ。彼らは死んだが、見よ、わたしは生き続けているのだよ。」そうです、神さまは永遠に生き、歴史に働きかけ、活動し続けておられるお方なのです(新改訳ヨハネ5章17節も参照)。
神さまは、もう一つの呼び名についても語られました。へブル語原語では「エヒエー・アシェル・エヒエー」です(14節)。文法的にはそれほど難しくはないのですが、その意味合いは深いものがあります。この動詞「ハーヤー」の一人称・未完了態のニュアンスは、「わたしは静かに、確かに存在する」といった意味に留まらず、むしろ、「わたしは成ろうとする者に成る」「わたしは出現したい所に出現する」とでも翻訳できるような神さまの意志と動きとを強く感じさせられる表現です。求道中の方には専門的すぎる内容に感じられたかもしれませんが、神さまの自己紹介として、原文の響きを少しでも分かっていただくことができたら幸いです。

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